moving to Myanmar

with コメントはまだありません

ミャンマーへの移動

 
2013年5月春。僕と嫁(当時は彼女)は京都へ引っ越した。それまでは僕の地元にほど近い東京の福生市に二人で住んでいた。大きなきっかけは2011年に起きた3.11こと東日本大震災。そして原発の爆発。
 
 
親や友達に叩かれることもあったが、嫁と相談し、気持ち良く生きるための一つの方法として引っ越しと言う手段を選び京都に居を移した。もちろん仕事を辞めて。
 
 
だが、京都に移っても辞めなかった仕事がある。それが東京でやっていた豆腐の行商の仕事。と言っても京都で行商を始めたわけではなく、週に一回、京都から東京へ夜行バスに乗り行商を続けた。
 
 
 
 
 

本日のFeeling Radio

記事のBGMにどーぞ。

 

Iron & Wine -『Pagan Angel and a Borrowed Car』

 

0泊3日弾丸トラベル

 
毎週日曜日の朝9時から僕の行商の仕事は始まる。受け持ちは東京の武蔵村山市にあり、週に一回だけ。なので、前日の土曜日の夜行バスに乗る。すると朝6時半ごろ新宿に到着する。そこから中央線で1時間ほどの青梅の実家まで行き、自転車で行ける距離にある豆腐屋まで行く。21時ごろ行商が終わり、シャワーと飯をチャチャッと実家でお世話になり、23時ごろのバスに乗る。そして早朝京都にワープすると言う0泊3日弾丸トラベルを1年やった。
 
 
 
週一回、往復で16時間ほどのバス移動修行。この経験で僕は人よりも少し『長距離移動』が得意だと思っている。今後、履歴書の得意科目・特技欄には『長距離移動』と書こう。
 

良い移動の条件

 
何せ旅は移動が付きもの。『旅』=『移動』と言っても言い過ぎではない訳で。この『移動』は国や地域によって手段も厳しさも変化する。良い移動条件は『より安く』て『より短時間』で『より心地良い』ことが僕にとってはナイスな移動。

 

だが貧乏旅なので『より安く』が優先順位が高い。となると自然に『より心地よく』は優先度が下がる。実際に値段に対して乗り心地のグレードが反映される。なので、しんどいのに慣れるしかない。これぐらい当たり前ですよと。

 

 

昔話の教訓 

 
ただ、お金は稼げなかった。行商の売り上げと交通費がほぼトントン。当時、週に3〜4日働かせてもらっていた京都の荷揚げ屋の親方からは、
 
「お前、そんなんただのボランティアやんか」
 
と言われ、なるほど、そう言う見え方もあるかと思ったことがある。この行動もあまり人から理解を得れなかった。自分では「面白いことしてんなぁ」と少し酔っていた節もある。それと『旅』と言う自分のやりたいことから遠ざかって行っている感覚もあった。
 
 
 
しかし後に、この0泊3日弾丸行商トラベルを面白がってくれた大阪の会社でアルバイト採用される。そしてその会社のタイのバンコク営業所での勤務をバイトながらやらせてもらい、タイに居ながら日本の給料を貰える機会を頂いた。そして世界一周資金を貯めるまでに至る。
 
 
お金にならないけどやりたい様にしていたら、やりたいことのお金を稼ぐ手段を手に入れる結果に。そんな昔話でありそうな展開になった。
 

ミャンマー到着

 
そして現在。今までの修行の成果の見せどころ。今回のバンコクからミャンマーまでのバス移動は、弾丸トラベル修行の甲斐もあり、いつも通りのケツがふわつくなぁ程度で到着した。予定通り8時間乗車の6時半ごろタイの国境街であるメーソットに着く。
 
 
 
そこから乗合バスのソンテウに乗って国境へ。50バーツ。途中、警察の検問がありパスポートの提示を求められる。だけど日本人と分かるとそのままパス。不法滞在等のチェックかもしれない。
 
 
 
国境に到着。外国人は僕だけの様子。待ち時間も無く、すんなりイミグレーション通過で国境越え。バンコクでは見ることのできなかった山が見える。ミャンマーはアジア最貧国の一つと言われている。言うだけあって国境を越えるとパキッと雰囲気が変わる。文字も言葉も文化も変わる。
 
 
 
橋を渡るとミャンマー側の国境街ミャワディ。するとすぐに客引きに捕まった。グラサンをかけた旧志村ヘアーの物腰柔らかなおっちゃんは、両替できるATMとバス会社まで案内してくれた。そのおっちゃんはただ単に案内して去って行った。バス会社から紹介料的なインセンティブを貰っているのかもしれない。
 
 
一応今日の予定は、ミャンマー最大の経済都市ヤンゴンまで行き、翌日ヤンゴンから、またバスで目的地のバガンまで行く予定。
 
 
 
ミャワディからヤンゴンまでは、バスで10〜14時間。交通事情によって前後するとのネット情報。値段は12000ミャンマーチャットだった。970円程度。早く着いたのでバスの出発まで2時間ほど余裕がる。ちょっとこの辺をプラついてみよう。
 

朝市ミャワディ

 
 
 
早朝7時半。すでに活気がある。ミャンマーの朝は早い。小さいながら路上に地元の人達用の朝市が立っており、売り声鮮やかに呼び込んでいる。観光客は1人もいない。見渡す限り肉に野菜、魚にコメ、雑貨に服の露店や商店。生活用品が全て揃ったミャワディの台所と言った感じ。
 
 
 
 
 
 
 
タイから1キロメートルほど入ってくるだけで全く違う雰囲気と変化に驚く。道路の不整備具合、噛みタバコの匂い、男性も文化的な巻きスカート、頬に黄色い塗り物、頭頂部に物を乗せる運び方、異邦者を何者か探るような視線、お坊の袈裟の色がタイと違う。グッと発展途上国感が増すのを感じる。タイにいる時と違い、少し緊張感を持っている自分に気付く。
 
 
 
 
 

ヤンゴンへ

 
そこからバス会社手配の自転車リキシャーに乗ってバス乗り場へ。乗客は皆ミャンマー人のように見えるが、どこの国の人だか分からない。バンコクのママも言っていたが、見た目ではタイ人、カンボジア人、ミャンマー人は区別がつかない。ママは言葉で分かると言っていた。
 
 
ミャンマーのバスも定刻通りに出発。バスの内装設備も乗り心地もタイよりグレードダウン。明らかにタイは発展しているのだと改めて感じる。出発するとすぐに、バスご自慢のテレビでミャンマーコメディードラマが流れ皆爆笑していた。
 
 
2回ほどトイレ休憩があり、外に出る機会があった。この辺は日本と一緒のスタイル。この10時間の乗車中、国境のバス乗り場から目的地のヤンゴンまで2、3回の右左折をしただけで、ほぼ一本道。しかもヤンゴンまでは信号が一個も無かった気がする。
  
 
 
ヤンゴンに着いたのは19時半ごろ。運が良く予想より早く着けた様だ。ここまで買い物時や会釈程度しか人と会話をしていない。完全に観察者になって見聞きし感じることに徹している感覚。そん感じも一人旅っぽくて心地良い。ここから明日は目的地バガンを目指しまたまたバス移動。
 

Leave a Reply